重要伝統的建物群 塩田津 江口家


天相日記の家江口家
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天相日記
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天相日記(古文書)
江戸時代後期の文書(日記)で、当時の世相や日常生活の一端を知ることができるものとして、とても貴重なものです。その抜粋を古文書研究会の皆様のご協力によって教育委員会から刊行されました。 「塩田町文化財調査報告書第11集 天相日記抜粋」より
下は町の通りの1軒1軒を屋号で書いてあります。
古地図
「天相日記」抜粋五 解説本の内容です。
元本表紙
嘉永2年元旦〜3日 元本
解説部分
「天相日記」解説本出版記事佐賀新聞に掲載される・・・2011.2.4.
「天相日記」解説本出版された記事掲載
江口家5代目 江口平兵衛が天保12年(1841年)より安政5年(1858年)まで記した「天相日記」と呼ばれる日記が、15冊残されていて、現在塩田町歴史民俗資料館に保管されている。
 先覚人物列伝には、江口平兵衛について次のように記載してある。
「塩田町お蔵の馬場先、米屋と称するは、旧蓮池藩倉庫の上納米を取り扱った江口家の屋号である。5代目平兵衛は俳諧を好み、魯童と号し、曽ては京阪地方へ俳行脚したこともある。又、地方の物知りなので幕府j巡察使の道案内を努めたこともある。 又、彼の克明に記せる18年間の日記は、当時の世相を偲ばしむるに足る文献でもある。天保・安政にかけ、久間村東山の陶器山漸く衰え、復興を平兵衛に嘱した。 平兵衛にこれを肯い、百方心を砕いて事にあたり、遂に復活の功を奏した。業者大いに喜び、其恩恵を徳とし、彼の為に祠を建て功を刻し、年々祭祠を営んだ。」
 天相日記については、塩田町史に読み下しがいくらか紹介してあるが、前山博氏の「伊万里焼流通史の研究」にも、嘉永3年(1850)4月6日の皿山代官所達し帳写しを紹介してあるし、過去に多くの方が読まれた事が想像される。
 平兵衛は最初から天相日記として書いたのではなく、1冊目の表紙は、「日記陶器|ト通其外1々ヒカエ」とあり、最初のページは、「天保12年(1841)丑3月ヨリ志田東山陶器仕組ニ附」と書き、次の行に「日記覚」とあり、寅3月8日ヨリ釜塗取懸と見える。表紙が「天相日記」となったのは、弘化4年(1847)からである。東山の再興を依頼されてからのものであるから、はじめの方は、釜の事、東山との往来、火人、釜揚げ、伊万里掛屋とのかかわり等が主であるが、次第に日記の形式がととのって家業に事、家庭の事、近所の事、藩の事、異国船の事など多岐にわたり、当時の世相を物語っていて、興味深い日記である。
 なお、弘化4年(1847)1月27日、本卦還りの祝膳とあり、安政3年(1856)1月27日、予古希の賀に付、誰々を振舞う也とある。又、安政4年(1857)9月には、東山陶山社に当山再興魯童の祠を建立してもらった事に感謝した記述もある。
 天相日記は15冊に及ぶ莫大な量なので、古文書教室ではその1部を抜粋して、資料として学習した。原文は漢字、変体仮名、平仮名、片仮名、そしてあちこちに返りもあり、当て字もあり、虫食いの個所も多く、句読点がなく、濁点がなくて難解なところが多い。
 此度、抜粋1、2、3をまとめて冊子をつくってもらう事になった。弘化5年(1848ー2月に改元し嘉永元年となる)までの日記が、横帳になっているので、一括することにした。原文を掲載したのは貴重な文化財であるので、皆さんに是非原文にも接してほしいということ、そして読み違いのあるのを、ぜひ指摘してほしいとお願いしたい。  松尾 喬 
                       資料三の巻頭より転載しました。
本(中見だし)
天相日記表紙
 
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